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襄城抒情

こんちわ

2日で第19話のネームを終わらせてやったぜ(やったぜ)

今回は調子がいいんでないかい?


1921.png

但しよくわからないこともあります
(分からないことだらけだといったらそうなのですが)

作中でのこの時期、
章邯が陳勝を殺して泗水周域まで攻め上がり
1202.png

項梁が秦嘉を打ち破り同じく泗水沿いに北上し
1810.png


そこに泗水郡を本拠にしていた劉邦が巻き込まれる
1833_20130226151231.png


というふうに
三大勢力(劉邦はまだ「大」ではないけど)が
初めて混在する時期なのですけど、
まあ三者三様の勢力ですから
記録がしっかりと残らなかったんでしょうね。

史料を細かく見ていけば見ていくほど、
全く地理や時系列がつかめずに困っています・・・!


※以下、第19話以降のネタバレ多数です※


章邯が碭(トウ)を占拠しておきながら、
その章邯(正確には別将司馬夷)率いる秦軍に
あっさりと負けた劉邦がその直後
なぜかいけしゃあしゃあと碭を攻略していたり

その碭の東側にある栗の地で
項梁が派遣した部隊と章邯が戦っていたり

まあ色々あったんでしょうが
太史公司馬遷は「こまけえこたあいいんだよ!」とばかりに
地名と事件しか残して下さらなかったので、
二千年後の私は地図を眺めながらウンウン言っているのです。

で、

最もよく分かんないのは
項梁から派遣された項羽が、
はるか西方の襄城で戦っているということです。

しかもこの地で激戦を繰り広げておきながら、
項梁が薛で会盟を開く頃にはもう戻ってきているという
ジョン・タイターもびっくりなタイムスリッパーぶり。

多分襄城までの道程で
他の県城もいくつかは攻略しなければ
いけなかったはずですし、
これはもうわかんねぇな。


仮説の一つとして、
項梁が秦嘉と戦う以前から
項羽だけは別働隊を率いて西進していたとすれば
それほど無理なく考えられるのですが・・・


俺のマンガ、
秦嘉との決戦に項羽を参陣させてしまったという
(第18話)

1822.png

もう取り返しつかないんでないの。


色々とエライ先生方の本を読んでも、
イマイチ納得できる説には出会えず。

ただしこの当時は
単体の軍が旧国境を超えるぐらいの
ものすごい遠征をしでかしたりしていることが
結構あるので

まあそんなものだったのかなと納得して
クソマンガを描いております。

そうそう、軍が遠征といえば
一つちょっとした発見があったのですが、
また長文になってきてしまったので
今回はこの辺で〆ます!

でわでわ!!!
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| 未分類 | 15:14 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

調べて見れば見るほど、項羽・章邯の動きが謎ですねえ
ただどうも碭の戦いは、劉邦vs章邯ではないんじゃないかと思っています
漫画通り、ここで二人が出会っていたら非常に面白いのですが……

以下、史記と漢書から年表を整理してみます

二世二年
正月
・章邯:陳渉を破り、魏咎を臨済に包囲する。司馬夷を楚平定のために派遣する
・景駒:留で楚王となる
・劉邦:碭の戦いで司馬夷に敗れる。留で軍を再編する
・項梁:召平によって柱国となる

二月
・劉邦:碭を下して6000の兵を得る(総兵力9000に)
・項梁:長江を渡り、陳嬰・黥布を傘下に収める

三月
・劉邦:豊を攻撃したが失敗。項梁の軍営に行く

四月
・項梁:彭城の戦いで景駒軍を撃破。景駒は梁で死ぬ。薛に駐屯する
・劉邦:薛で項梁と会見し5000の兵を得、豊を攻略する

五月
・項羽:薛に帰還して、襄城を坑したことを報告する

六月
・章邯:臨済を陥落させる

時期不明ながら、彭城の戦い~臨済陥落の間に、以下の戦いが挟まっています
 ・栗の戦い(章邯vs項羽の派遣武将)
 ・臨済救援戦(章邯vs斉・楚連合軍)

史記、高祖本紀の記述を取ると、
 是時秦將章邯從陳,別將司馬夷將兵北定楚地,屠相,至碭。
(このとき秦将章邯は陳渉を追撃した。(章邯とは)別に司馬夷の部隊が北上して楚を平定し、相県を屠って、碭に至った)
とあるので碭の戦いは劉邦vs司馬夷のようです

敗れた劉邦は留で部隊を再編しているので、秦嘉の軍が留に居たのかも
ただ勝ったはずの司馬夷の軍がどこに消えたのかが不明です
細かいことを言い出すと、碭を下したときの劉邦軍が3000しかいないのも謎ですが……
秦嘉は兵を出してくれなかったのかしら

ブログで指摘されている通り、項羽の襄城遠征は、彭城の戦い以前の可能性が高い!
当時の行軍スピード1日12kmで換算すると、彭城→襄城→薛と行軍するだけで約64日掛かる
これでは五月に報告することが出来ないw
東陽で軍を分ければ、東陽→襄城→薛で、約76日掛かるけど、
五月の報告までに最大で120日あるので間に合う
襄城攻略の意図が分からないけど、襄城の近くに陳があるので、
項羽、陳奪回→陳の守備軍、襄城に敗走→項羽、襄城を坑す、と状況が推移したのかも?

栗の戦いは、彭城の戦い以後なので、直接的には劉邦とは無関係のようす
ただ臨済をほったらかしにして、遠く(臨済~栗は往復約1ヶ月かかる)栗までやって来たあげく
戦うだけ戦って、臨済に帰還した章邯の行動もよくわからない
司馬遷マジックで、章邯(の派遣した別武将の)軍という扱いを疑ってしまいますw

| ナマクビスキー | 2013/03/16 02:16 | URL | ≫ EDIT

うわー!凄いです!!
凄い詳細に調べてくださって有難うございます!\(◎o◎)/

私もこんなふうに史料を参照させたブログ記事を書きたいのですが、
面倒くさいのでいつも断念してます(ぉぃ
もう私の代わりにこのブログで作品解説をして下さい!!オナシャス!!!

冗談はさておき・・・
ブログにもちらっと描きましたが、指摘されているとおり劉邦と章邯は直接戦ってはいないと思います。
ただ漫画を盛り上げるために章邯を登場させましたが・・・。

これもブログでいつか描こうと思っていたのですが、
実は陳勝を滅ぼす以前から、章邯の別働隊は各地で戦闘しているんですよね。
中原のはるか東の東海郡でも、章邯の別将が楚将の鄧説を打ち破っています。(なお、私は漫画内で間違えて、鄧説を三川郡あたりに登場させてしまいました)
ナマクビスキーさんの仰っしゃるように、章邯の支配下にあった軍隊が全て「章邯の軍」として記録されてしまっている可能性も低くないと思います。なので、あまりガチガチになって記録通りに人物が移動したと思い込まないほうが良いのかもしれないですね。

襄城についてもよくわからないことが多いですね。
もういっそのこと「漢代に地名が間違って伝わった」ってことにしたいぐらいなのですが、一世紀も経っていない時代の大虐殺事件が不正確に伝わるのもちょっとありえない話ですから・・・
・・・・・
・・・
一世紀もたってない虐殺事件が・・・
・・・?
・・・・・・!?
・・・・!
いや!やめだやめだこの話は!!!w



まぁ私が描いているのはあくまで半分ギャグみたいなマンガなので、色々と都合よく解釈して盛り上げていけたらと思っています!
大変参考になるコメントを有難うございました!
今後とも御贔屓のほどよろしくお願い致します。

| 十段 | 2013/03/16 14:13 | URL | ≫ EDIT

なんと、返信があるとは……!
ブログ・ツイッターの考察から
史記・漢書を読みながら地図を確認する習慣がつきました
史記だけだとさらっと読み落とすところも、地図を見たりするとあれっと思うことが多いですね

>ブログにもちらっと描きましたが~
読み落とし失礼しました。

>鄧説に関して
例として挙げただけでしょうが、
さっと調べたら疑問符が出てきました
鄧説自体は、郯で挙兵して、章邯の別将に敗れて、陳勝に殺されるのですが

章邯が出陣するのが二世二年11月、陳勝が殺されるのが二世二年十二月、
しかし、咸陽から郯は片道約1000km。普通に行軍すれば約3ヶ月……

名前の載っていない章邯別将の機動力に脱帽です

>一世紀も経っていない虐殺事件
そ、そのネタは危険すぎるんじゃないでしょうか(震え声)

冗談はともかく、名前を間違えているケースが一番しっくり来ますね
秦嘉との決戦を前にして、わざわざ項羽を別働隊としてあさっての方向に派遣する必要が見出せませんし……

襄城ではなく襄邑だったら、ちょうど臨済~薛の中間地点で
彭城の戦い後の別働隊派遣でも現実的な行軍範囲に収まるのになーと思いながら地図を眺めてます

面白い漫画、ありがとうございます

| ナマクビスキー | 2013/03/22 04:43 | URL |

Re: タイトルなし

私も文献と地図を比較しながら調べるようになったのは
マンガを描くようになってからでした。

読者の方に分かりやすいように・・・
と思ってマンガ内で戦況地図を描いたりしていたのですが、
それを作るために色々調べていくと
逆にこっちの理解がどんどん遠くなっていくことばっかりです(^_^;

襄城に関してもそうで、私も地図を眺めていて
「『襄城』じゃなくてこの『襄邑』だったらこんなに苦労して考えてないのになぁ~」
と何度も思わされましたw
案外本当に間違っているのかも知れませんね(^o^;

こんなヘタなマンガの駄文ブログに
詳しく調べて下さった分かりやすいコメントを頂けるなんて
本当に感謝の極みです。

マンガ描くのも歴史調べるのも素人な私ですが、
アマチュアなりのやり方でズルズルやっていきたいと思いますので
今後ともよろしくお願い致します!

| 十段 | 2013/03/22 16:37 | URL |















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