ヤバイじゃん、アゼルバイジャン。
劉邦外伝を更新しました!
久しぶりに元ネタ解説します!
◎冒頭の独白
冒頭シーンの劉邦の独白(「いいことなのかー」~「だから俺はー」)は
映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の冒頭シーンで流れた主人公の独白をほぼ丸パクリしたものです。
以前はそのシーンの動画があったので載っけようかと思ったんですが、
今探してみたら無かったです・・・
映画自体はまあそこまで好きでも無いんですが(
森本レオが声優やっていて、この冒頭シーンの独白は大好きなんですよね。
よく探したらあった。以前見ていた動画とは違うようだけど。
◎劉邦家臣団元ネタまとめ
以前このブログで紹介したけど、もう一度今回出てきた人の元ネタをまとめて紹介します。
盧綰=高木浩之(元プロ野球選手)
樊噲=キンボ・スライス(格闘家)
周勃=ダン・ヘンダーソン(格闘家)
写真は当該ブログを探してね。
今回初登場した王陵はメキシコの星、プロボクサーのファン・マヌエル・マルケスがモデル

ちなみに蕭何の顔(いつもの)はかつて俺の上司だった方がモデルです。
蕭何が冠をちゃんとかぶっていないのも、その上司の方の制帽のかぶり方がいつもずれていたのをモデルにしてます。
ついこの前、若くして亡くなられたそうです。この場を借りてご冥福をお祈りします。

◎秦の統治について
元ネタではないのですが。
秦帝国による統治は、統一から約15年ほどで終焉を迎えたため、
歴史的に見れば失敗であり、その統治は占領地(とりわけ楚)において反感を買うばかりであったと理解されています。
ただ、年表の上から見渡せば15年という歳月は一瞬ですが、その時代を生きた人間にとっては短くない期間です。
15年という期間は、少年が大人になり、青年が父親になるのに十分な年月です。
たとえ僅かな期間であっても、その十数年の間、中国大陸では秦帝国の統治によって人々が生活し、
ある者は何不自由なく生き、ある者は苛政に苦しんだのです。
劉邦と、彼に付き従った集団は、人生において最も多感な時期を秦帝国の領民として過ごした人々でしょう。
劉邦自身、末端ながら秦帝国の地方官僚として生活を送りながらも、咸陽への夫役や囚人護送などで苦しめられた、
いわば秦の統治の恩恵と苦痛を共に享受した人物です。
彼らにとっては、若年期に育った旧王国(戦国七雄)の時代よりも、自我が目覚めてからの大半を過ごした秦の時代の方が
遥かに記憶に新しく、自らの人生と密接に関係していたと思われます。
彼らは後に反乱を起こした際、王政復古を訴え旧王国の時代を称美しましたが、
後世の我々が考えるほど、彼らに旧王国時代の追憶は無かったのではないかと私は考えます。
父親以上の世代が、日頃から繰り返していた「昔はよかった」という類の思い出話が、
彼らにとっての「旧王国」だったのではないでしょうか。
だから彼らは、例えば劉邦は自らを楚人だと考えていたようですが、
その実は秦帝国の統治の申し子であり、いわば「秦チルドレン」だったのだと考えられます。
私は、専門的な歴史の知識もなければ、面白いストーリーを考える構成力も持っていませんので、
どうすればこのマンガを生き生きとしたものにできるのかを、よく考えることがあります。
そうやってマンガを描いていくと、歴史上の人物本人がどういった環境で生き、
それをどう血肉としていったのかが非常に気になるようになります。
だから、歴史の知識としては秦の統治は失敗であり、後代の統一帝国からみれば悪だと捉えられがちですが、
その短い統一期間を、いつもどおりの日常として生きた人たちがこの物語の登場人物なのだということを忘れないようにしていきたいと思っています。
だから、今回の外伝で登場した劉邦たちのような人物と、
楚の貴族の末裔であり、叔父の項梁を筆頭に楚の遺臣に囲まれて裏社会で育ったであろう項羽とでは、
楚王国と秦帝国に対する想いはそれぞれかなり大きく違ったはずです。
なんか長くなって終りが見えないので今日はこの辺でやめますが、
秦の統一=悪→それに反乱を起こした者は全員アンチ秦=旧王国に理解が深かった・・・
という表面的な図式に惑わされることなく、人物一人ひとりの背景を炙り出せるようにしていきたいです。
久しぶりに元ネタ解説します!
◎冒頭の独白
冒頭シーンの劉邦の独白(「いいことなのかー」~「だから俺はー」)は
映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の冒頭シーンで流れた主人公の独白をほぼ丸パクリしたものです。
以前はそのシーンの動画があったので載っけようかと思ったんですが、
今探してみたら無かったです・・・
映画自体はまあそこまで好きでも無いんですが(
森本レオが声優やっていて、この冒頭シーンの独白は大好きなんですよね。
よく探したらあった。以前見ていた動画とは違うようだけど。
◎劉邦家臣団元ネタまとめ
以前このブログで紹介したけど、もう一度今回出てきた人の元ネタをまとめて紹介します。
盧綰=高木浩之(元プロ野球選手)
樊噲=キンボ・スライス(格闘家)
周勃=ダン・ヘンダーソン(格闘家)
写真は当該ブログを探してね。
今回初登場した王陵はメキシコの星、プロボクサーのファン・マヌエル・マルケスがモデル


ちなみに蕭何の顔(いつもの)はかつて俺の上司だった方がモデルです。
蕭何が冠をちゃんとかぶっていないのも、その上司の方の制帽のかぶり方がいつもずれていたのをモデルにしてます。
ついこの前、若くして亡くなられたそうです。この場を借りてご冥福をお祈りします。

◎秦の統治について
元ネタではないのですが。
秦帝国による統治は、統一から約15年ほどで終焉を迎えたため、
歴史的に見れば失敗であり、その統治は占領地(とりわけ楚)において反感を買うばかりであったと理解されています。
ただ、年表の上から見渡せば15年という歳月は一瞬ですが、その時代を生きた人間にとっては短くない期間です。
15年という期間は、少年が大人になり、青年が父親になるのに十分な年月です。
たとえ僅かな期間であっても、その十数年の間、中国大陸では秦帝国の統治によって人々が生活し、
ある者は何不自由なく生き、ある者は苛政に苦しんだのです。
劉邦と、彼に付き従った集団は、人生において最も多感な時期を秦帝国の領民として過ごした人々でしょう。
劉邦自身、末端ながら秦帝国の地方官僚として生活を送りながらも、咸陽への夫役や囚人護送などで苦しめられた、
いわば秦の統治の恩恵と苦痛を共に享受した人物です。
彼らにとっては、若年期に育った旧王国(戦国七雄)の時代よりも、自我が目覚めてからの大半を過ごした秦の時代の方が
遥かに記憶に新しく、自らの人生と密接に関係していたと思われます。
彼らは後に反乱を起こした際、王政復古を訴え旧王国の時代を称美しましたが、
後世の我々が考えるほど、彼らに旧王国時代の追憶は無かったのではないかと私は考えます。
父親以上の世代が、日頃から繰り返していた「昔はよかった」という類の思い出話が、
彼らにとっての「旧王国」だったのではないでしょうか。
だから彼らは、例えば劉邦は自らを楚人だと考えていたようですが、
その実は秦帝国の統治の申し子であり、いわば「秦チルドレン」だったのだと考えられます。
私は、専門的な歴史の知識もなければ、面白いストーリーを考える構成力も持っていませんので、
どうすればこのマンガを生き生きとしたものにできるのかを、よく考えることがあります。
そうやってマンガを描いていくと、歴史上の人物本人がどういった環境で生き、
それをどう血肉としていったのかが非常に気になるようになります。
だから、歴史の知識としては秦の統治は失敗であり、後代の統一帝国からみれば悪だと捉えられがちですが、
その短い統一期間を、いつもどおりの日常として生きた人たちがこの物語の登場人物なのだということを忘れないようにしていきたいと思っています。
だから、今回の外伝で登場した劉邦たちのような人物と、
楚の貴族の末裔であり、叔父の項梁を筆頭に楚の遺臣に囲まれて裏社会で育ったであろう項羽とでは、
楚王国と秦帝国に対する想いはそれぞれかなり大きく違ったはずです。
なんか長くなって終りが見えないので今日はこの辺でやめますが、
秦の統一=悪→それに反乱を起こした者は全員アンチ秦=旧王国に理解が深かった・・・
という表面的な図式に惑わされることなく、人物一人ひとりの背景を炙り出せるようにしていきたいです。
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