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ご報告

拙作「カンニング・スタンツ」の続編が始まりましたよー

タイトルは「フィドル・アバウト」
作者は内藤周作という謎の青年です。

カンニング・スタンツを読んで頂いていた方には
是非とも読んでもらいたいですね。
そして感想をコメントしてやって下さい。
マジで。
野良マンガ描きなんて、感想を貰うぐらいしかマンガ描いてる意義ないんだから・・・
よろしゅう・・・


全く話が変わるんだけど、
この前新都社マンガ描き仲間の八番レフト宮地(@8_left_miyaji)くんと会ってきたよ。

私と宮地くんが新都社で連載を始めたのがほぼ同時期で、
彼の作品である「DRAW IT BLACK」に、連載当時から私は大変な衝撃を受け続けて今に至るのだけど
お仕事が忙しいようで大分長い期間連載が止まってしまっているから
新都社読者でもこの名作を知らない人は多いと思う。
なのでそういう方はこの機会にぜひ読んで頂きたい。

私も今回本人とお会いするに当たって読み直したのだけど
やっぱり本当に良い作品だよね。

いや、良いとかそういう次元じゃない。

語彙力がないのでうまい言葉が出てこないが、
私は宮地くんの漫画が更新されるたびに
その作品力の崇高さに何か清々しい気持ちになってきたんだ。

面白いな、とか
絵が上手いな、とか
萌えとか尊いとか
嫉妬とか羨望とか
そういう普通の感覚ではない部分で
彼の作品に接していた気がする。

だからそんな作品をつくっていた人に
会おうと誘って頂いて
本当に嬉しかった。

そしていい機会だから私の宮地愛を精一杯伝えようと思ったのだけど
酔っぱらっててどれだけ伝えられたかは覚えていない。

宮地くんはweb上では狂気の天才作家だが
当人は至って普通の好青年だった。

野球や映画など趣味が合っていたので
コミュ障の私でも会話に困らなかったので助かった。

最もすべての話題において宮地くんの方がよく知っていたので
私はずっとその博識さにウヘーって思ってるだけだったのだが
それでもそういうところをひけらかしたりせず
私の知的レベルに合わせて馬鹿な話も振ってきてくれたので
こっちも調子に乗って盛り上がることができたのだが。

あと、恐れ多いことなのだが
向こうも私の作品をかなり読んで下さっていて
ずっと(作家として)片思いの一方通行だと思っていたので
そうではなさそうだったというのが分かったのは嬉しかった。

嬉しくて小便漏れそうになった。

嬉しかったといえば
宮地くんのiPadで最近描いているマンガの下書きを見せてもらえたのは嬉しかった。

下書きといっても俺の清書の百倍ぐらい技術が込められてる絵でね
彼の作品を見てもらえれば分かると思うんだけど
線の一本一本が愛おしいんだよね。

これも直接会って分かったことなんだけど
宮地くんは絵に関して結構完璧主義なところがあるみたいで
(もちろん私みたいな意識激低な作家から見たら、だけど)
絵を描いても納得いかないと公開とかはしないらしい。

この辺は、どんな落書きでも駄文でも
書き上げたらとりあえずアップしてしまう私とは
価値観が違うところだなーとは思ったのだけど
その辺のこだわりがあの繊細にしてダイナミックな作画を生み出しているのかなとも感じて
一人で納得していたよ。


また話がとっ散らかってきたからこの辺で終わるけど
とにかく宮地くんはスゲエっとことだよ。

俺は俺で頑張っていこうと思うよ。

うん。


ばいなら
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| 未分類 | 22:39 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑

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旧友の訃報に触れて

学生時代の親友が亡くなったとの一報を受ける。

夢と才能に溢れている男だった。

そんな男と私みたいなのがなぜ親しくなれたのか、今から思えば不思議なのだが、何かの縁なのだろう、よくウマが合った。

別々の学校だったし、住んでいる場所も近くはなかったが、それにしては頻繁に交流していた。

彼に会いに行くのがワクワクして楽しかったし、疲れ果てた社会人となった今では信じられないことだが、彼の有り余る情熱を肌身に感じるのが心地良かった。

彼は才能があり過ぎたせいで、周囲との衝突も起こしていたようだが、そんな時でも前だけ見つめて瞳を曇らせることがなかった。

眩しい男だった。

彼は在学中から夢を語っていて、その夢を叶えるために努力をしていた。

卒業後はその夢に向かって羽ばたいていった。

そのせいで、地面に埋もれる芋虫のままだった私からは見えなくなってしまい。私の無精もあって、今までろくに連絡をとらずに来てしまった。
今となっては痛恨事である。

人生を考える。

なぜああいう男がこんなに早く亡くなってしまい、俺のようなのが意味のない人生を続けられているのか、分からない。

人生に意味などないのかもしれないし、大半の人がなんの目的も持たずにただその日を生き繋いでいるだけかもしれない。

しかし、あいつは、その生涯を情熱と才能で彩って生きていた男だった。

だから本当に悲しいし、こんなおかしなことを考えてしまっている。

あいつと飲む酒が、本当に楽しかったのを思い出す。

もう少し、意味のある人生を送りたいと思う。

三日経ったらそんな気力は萎えているかもしれないが、とりあえず今は、そう思っている。

お前が死んだって聞いて、こんなことを考えているよって伝えることが、情熱を周囲に溢れさせていたあいつへの、何よりもの弔辞だと思ったので書きました。

合掌

| 未分類 | 22:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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続かない日記、続いちゃう人生

仕事で使う筆記具を探して文具店をうろついていたとき、ふと日記帳のコーナーが目に入って、それであることを思い出した。

私は今年の正月から、日記をつけ始めたのである。
当然のことながら、今は続いていない。

家に帰ると、本棚で埃をかぶっていた日記帳を引っ張り出してみた。
正月から1月19日まで書かれてあり、そこから先は真っ白だった。
当時観ていた映画や本の感想とか、仕事のこととかが簡単に書いてあって、他愛もない内容だったが読み返してみると結構面白かった。
もっとも、書いていた当時は、なんでこんなことをいちいち書き残さなきゃならんのだと思いながらやっていたから、そのうちに面倒くさくなって続かなくなったのだが。

ただ、日記を始めようと決意した時の熱意は、今考えるとちょっとおかしいぐらいで、何か自分の人生を変えてやらんというほどの気持ちだったようにも思われる。
なぜ、ただ日記をつけるだけなのにそんな浮かれた気分になっていたのか、よく思い出せない。
日記をつけるようになれば、何かが変わる。
俺のうだつの上がらない人生が、もっと価値のあるものになる。
本当になぜそんなふうに考えていたのか、今となっては大いに疑問なのだが、八か月前は真面目にそう信じていた。

もしかしたら、そんな大それたことを考えていたから、いざ日記をつけ始めてみると下らないことしか書けないでいて、それで嫌気がさしてしまったのかもしれない。
八か月前の自分は、2018年が激動の人生の始まりになるとでも思っていたのだろうか。
そんなことになるわけがないのは、冷静に考えれば分かるはずなのだが・・・。

日記に限らず、なにかをコツコツと続けるということが出来ない性分である。
勉強も運動もそうだ。
マンガを描いていた時は、何度も絵の練習をしようと決意したことがあるが、それも全く続かなかった。
家の本棚には、日記帳と一緒に、ほとんど使っていない絵の教則本が何冊も埃をかぶっている。
外国語とか、楽器とか、マラソンとか、趣味でも何でもずっと続けて習得している人を見ると心底尊敬する。

継続してコツコツと努力することが出来れば、どれだけ人生が変わったことだろうか。
もっと良い学校に通っていたかもしれない。
あの試合の結果も変わっていたのだろうか。
今みたいに、職場で死んだような顔になることもなかったんじゃないか。
そんなふうに夢見ることもあるが、だからといって今までの人生を悔いたりもしない。
本当に理想とはかけ離れたどうしようもない人生になってしまったと思うが、結局こういう何もしない、何もできない生き方が一番自分に合っていて、楽なのだ。
最近そういうことに気付いてから、もっと今まで以上に何もせず生きていく方法がないか模索している。
何だっけ。最近ちょっと話題になった社会政策・・・。
名前がでてこない。
ちょっと待ってて、ググる。

ああそうだ、ベーシックインカムだ。
「最低賃金を配る」でググったら出てきた。
まあそういうことですよ。(そうなのか?)
これが実行されたら、本当に仕事をやめるのになぁ、とか考える。
まあ現実にはそんな都合よくいく制度ではないのかもしれないけど、政治とか社会とか、そういう難しいことは考えたくない。

また話がわけのわからない方向にいってしまった。

そもそもなんでこんなことをブログに書こうと思ったのだろうか。

日記のことから書き始めて、なにかブログのネタになるようなことがあったような気もする。

ブログを書く前は、何か、こういうことを書けば、結構ウケるんじゃないか、そんなような展望があって、このブログを書く気になったような気もする。

しかし今、全く思い出せない。

もっと名文を書いて、「やっぱこいつの文才はハンパねぇな」って思われようとして、久しぶりにブログを書いていたはずなのだが、どうしてこんな駄文を連ねているのだろうか。
自分でも不思議である。

もっと不思議なのは、こんな不思議な今の心境をつらつらとブログに綴っていることである。

こんなよく分からない文章でも、三日坊主の日記を読んだ時みたいに、後から読み返せば面白かったりするのだろうか。

おーい!未来の俺!!

あいも変わらず底辺這いずり回ってるかー!?

| 未分類 | 23:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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褒められた経験

新年度の人事異動に引っかかってしまったため、
今月から新しい支店で働いている。

このあいだ、前の部署では「やって当たり前」のことをやっていたら
上司から「なんて気の利くやつなんだ!」と褒められてしまった。

今までは皆、普通にやっていたことなので
褒められてもそれほど嬉しくなかったというか、
正直言って困惑してしまった。

私はぱっと見マジメに見えるらしく、
最初のころはこんなふうに評価されることも多い。
しかし半年も経つとメッキが剥がれるというか、
本性がバレるので、そのうち
「あ、コイツダメだ」
と思われるようになってしまう。

今回はいつまでもつだろうか。


今まで、
組織の中で称賛を浴びるような経験は皆無だったが、
それでもたまに褒められることはあった。


よく覚えているのは、小学生の頃の相撲大会だ。
私の小学校では毎年相撲大会をやっていた。

昔から身長だけは高かったが、
運動音痴で非力だった私は
相撲の実力はクラスでも下位の方だったと思う。

四年生か五年生の時だったか
その年の私の対戦相手は田村君という
小柄で病気がちな子だった。

クラスの中でも数少ない
「私が勝てるレベル」
の生徒だった。

さて
試合が始まると、がっぷり四つ―
だったかどうかは覚えてないが、
組み合ったまま動けなくなった。

運動音痴同士が相撲を取ると、
お互いにどう動いていいのか分からなくなるのだ。

押したり引いたりを繰り返した後、
二人でもつれ合いながら土俵際で転倒し、
そのまま土俵の外まで転げ落ちてしまった。

私も田村君も膝をすりむいて血を流していた。

行事をしていた担任の先生は
私に軍配を上げてくれたのだが、
膝の痛みで勝利の喜びに浸る気持ちにはなれなかった。

その後のホームルームで相撲大会を振り返った先生が
興奮気味に「高山(私の本名)と田村の試合は凄かった!」と熱弁しだした。

するとクラスの皆もそれに同意して
その年の「一番すごかった試合」に選ばれてしまった。

私は多少誇らしげな気持ちにもなったが、
今から思えば、
私と田村君という、
非力で運動音痴な二人が無様にもつれ合っていただけの
なんのテクニックもない凡戦だったと思う。

しかし出血の派手さに騙されたのか、
私と田村君の一戦は、
クラスの皆からなぜか熱戦と見られてしまっていた。

運動神経抜群の金子君と少年野球のエース・村上君の一戦の方が、
お互いに技を出し合っていて、よほど素晴らしい試合だった。

先生にそのことを言ったら
「技術以上に、気持ちが伝わったんだよ!」
と言われてしまった。

確かに自分なりに気合は入れたつもりだが、
そんなのは他の皆も一緒だと思うのだが・・・

納得はいかなかったが、
なにぶん小学生だったので、
スゴイと言われると嬉しくなってしまって
しばらく得意になっていた記憶がある。

その翌年の相撲大会では、普通に秒殺された。

てか、俺が勝てたのは田村君だけだった気がする。




中学生の頃は、理科のテストで褒められた。

私は本来理科が大の苦手なのだが、
電気のことだったか
詳しくは忘れたが
その時のテスト範囲はなぜか相性が良く
しっかり勉強もして殆ど理解できていた。

テスト本番でも順調に解き進めていたのだが、
なぜか表面を解き終えたところで寝てしまい、
そのまま裏面を解かずにテストが終わってしまった。

なんでテストの途中で寝るんだと思われるかもしれないが
私には昔からそういうところがあるのだ。
自分でも分からない。

テストが返却された後、
成績上位者が発表されるのだが、
それに続いて先生がこう言った。

「点数は平均レベルだったが、一人褒めたいやつがいる。
それは高山だ!
高山は表面の基礎問題は全問正解!でも裏面の応用問題は0点だった!
でも先生は基本を完璧に理解することが大切だと思う!」

まるで成績上位者よりも、私の方が素晴らしいとでも言いたげな口調だった。

名指しで褒められたものの、私はなんともいえない微妙な気持ちだった。

だって裏面が出来なかったのは単に寝たから解いていないだけで、
恐らく寝ていなければ裏面も何問かは正答できたはずだったから。

もしかしたら成績上位者の中に入れたかもしれないし、
そもそも裏面が応用問題だったことすら知らなかった。

まさか、試験中に居眠りをして実力以下の点数を取ってしまったことが
こんなにも褒められることになるとは・・・

ちなみに理科でいい点を取れたのはそれが最後である。

その後、私は見事に赤点ロードを歩み始め、
落ちこぼれ街道を這いずり回ることとなる。


高校の頃も、似たような褒められ方をした経験がある。

数学の授業で、同じようにテストが返却されたとき、
先生が「前回のテストより成績が上がった人」を発表したのだ。

満点近くとった優秀な生徒が発表された後、
「一番点数を上げたのは、高山だ!」と嬉しそうに私の名前を呼んだ。

当たり前だ!
私は前回の試験で0点だったのだ!

今回また赤点を取ったら留年だったから、
必死こいて60点とっただけだ。

そりゃあ60点も点数を上げる生徒なんて私ぐらいしかいないって。

そもそも赤点を取る生徒の方が珍しいのに
0点を取る生徒なんて私しかいないのだ。

それが平均点を取って名指しで褒められるとは・・・


以上が私が印象に残っている「褒められた瞬間」である。

たった三つ!
少な!!


思い返すと、人生で褒められることってこんな感じのことが多い気がする。
私は国語と社会は得意だったので、テストでは毎回上位だったが、
それで褒められた記憶はない。

親とかに成績表を見せても
「もうちょっと理系も頑張りなさいよ」と言われるだけだった。
(ちなみに勉強ママとかじゃないです。普通の母ちゃんです)

反対に「褒められた記憶」を辿ってみると、
0点ばっかりとっていた理系のテストでのこと・・・

なんなのだろうか。

あれか
不良がちょっと優しいところを見せるとギャップが
ってやつなのか

最初に書いたが、
社会に出てからも結構そんな感じだ。

「これ我ながらいい仕事したわ~」
って思うことは意外と何も言われずに

なんの気なしにやったことで
褒められたりすることがある。


あと、良かれと思ってやったことが
裏目に出て叱られることが多い。

これ最悪。


まあ職場や学校での人からの評価なんて
そもそも無能な俺にとってはどうでもいいのだけど、
ふと人生で「褒められた」ことを思い出していたら
こんなことを考えてしまいましたよってことで。

人生は難しい。

| 未分類 | 21:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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立ち小便について

子供のころから立ち小便が苦手だった。

記憶を辿ってみると、幼稚園のころ家のトイレで立ちションに失敗して、盛大にばらまいたことを思い出した。
人生の初期からこんな記憶が残されているぐらいだから、その後ずっと苦手だったのも無理はない。

小便を便器内に上手く射出するという技術的な意味でも苦手だったし、何よりも小便が跳ね返ってくるあの感覚が大嫌いだった。
子供の頃はよく半ズボンをはいていたから、素足に跳ね返ってくるのがよく分かるのだ。
そんなことをいちいち気にしない男性も多いのかもしれないが、私は昔から汚く感じてしまって嫌だった。
まだ包茎のときは、よりコントロールが難しかったので最後のひとしぼりが突然足元に放たれることもあったし、勢いよく出しすぎて扇状になった小便が便器から外れてしまうこともあった。そんなんでズボンや靴にちょっとでも小便がついてしまうと、トイレから出たあともそれが気になってしまって仕方がなかった。昔からそうだった。

小学生の頃は、トイレに関しては苦痛の記憶しかない。
今でもそうなのか分からないが、私の時代は男が大便の個室に入ると、それがすぐに一大ニュースになって教室に広まっていた。
これは今でも本当に不思議なことなのだが、小学生の男子は学校で大便をすることをとても恥ずべきことだと考えていた。
一度どうしても我慢できなくなって大便をしていたときなど、後から入ってきた同級生がすぐに
「ウンコしてるやつがいるぜ!」
と叫ぶや否やドアをよじ登って中を覗いてきたことがある。(いじめとかではなく、中で誰が大便をしているのか知りたがっての行動である。彼らにとっては、学校内で大便をしている男がいるということが、それほどセンセーショナルなことだったのだ。)
そんなんだから、男子は大便の個室に近づくことすらしなかった。
トイレに行く、といえば、それすなわち立ちションをしにいくということなのである。
だから小学校にいるときの私は、苦手な立ちションをずっと続けなければならなかった。
この頃から、家ではずっと洋式トイレに座って小便をするようになっていた。だから私にとって立ちションは、もはや学校や屋外で尿意を催した際に仕方なく行う非常行動になっていた。

一度小学校でこんな光景を目にしたことがある。
他のクラスの、誰かは知らないが同級生二人がトイレで小便をしていたのだが、その一人が放尿したままあとずさりして便器から離れていった。小便がどこまで届くか試して遊んでいたのだ。勢いが弱くなると慌てて戻ろうとしていたが、すこし外れたようで、隣の同級生が「汚ねー!」と笑いながら叫んでいた。
小便は汚いもの、ちょっとでも外してしまったり、体にかかってしまったら不快なものだと思い込んでいた私にとって、この光景は衝撃的だった。
人間は、他者と関わり合うなかで、自分の価値観や、教えられてきたものが決して絶対的で普遍なものではないということを覚えていく。まだ狭い世間で生きている子供のころなどは、なおさらそれを顕著に味わうことになる。
このぐらいのころから、私は自分が他の人より少し感じやすい性分なのだと思うようになっていった。立ちションを通じて。

中学に上がったころから、学校で大便をすることにあまり抵抗を覚えなくなった気がする。
思春期を迎えて、皆自分自身のことに押しつぶされそうで精一杯の時期(私はそうだった)だから、他人の大便など気にかけなくなったのだろうか。ウンコチンコと大声で叫ぶのが楽しい時期を卒業したからかもしれないし、そもそも学校に拘束される時間が長くなったから、必然的に大便をしなければやっていけなくなったからなのかもしれないが、ともかく中学以降は大便に入れるようになっていたと思う。
もちろん、多少の気恥ずかしさはあったから、コソコソと人のいないタイミングを見計らって、ではあった。だから、小便するためにわざわざ大便に入ることはまだ女々しく感じられて、立ちションは続けなければならなかった。
だけど、この頃はもう包皮を剥くことができたし、長さもある程度まで成長していたからあまり小便を外すことはなかった。それに体も成長していたから、足を大きく開けば尿がかかることを多少軽減できるようにもなった。だから私は、以前ほど立ちションが苦手ではなくなっていた。
この時期はむしろ、放尿よりも四六時中勃起するチンコそのものとどう付き合っていくのかということに、常に悩まされていた。

思春期の臭いも遠いものとなった現在、大人と呼ばれる年齢になった。
今でも立ちションは苦手である。
小便しかしないときでも、基本的には大便スペースに入って座ってする。
たまに会社で「ウンコ多いっすね」などと言われることもあるが、真顔で下痢気味なんだと返すと、それは大変ですねみたいな顔をされてそれでおしまいである。自分自身がクソみたいな男だということを嫌というほど思い知らされてきたから、今更ウンコマンだと思われても気にならない。ああそうだよ俺はウンコマンだ!と叫びたいぐらいである。小学生時代の自分にこのことを教えてあげたい。
余談だった。
大便用に人が入っていたり、座る時間すら惜しい時は立ちションもするが、もうほとんど外すことはないし、昔ほど小便がかかることに敏感ではなくなった。
ただ、最近になって新しい悩みができてしまった。隣に人がいる状況で立ちションしようとすると、なかなか出ないのだ。
私は映画館によく行くのだが、映画が始まる前に必ずトイレにいくようにしている。小さいトイレだと人でいっぱいになるので、当然大便用が空いていないことが多く、仕方なく立ちションをすることになる。満員だから隣には同じく立ちションをしている人がいるのだが、それが気になってしまうのか、よほど膀胱がいっぱいになっていないと小便がでないのだ。
昔からパーソナルスペースが広いのは知っていたが、この現象には本当に困らされている。
なかなか小便が出ないと、隣で同じくらいにやり始めた人はさっさと出し終えて去っていくし、周囲から変に思われないかとか余計なことを考え始めてしまうとなおさら尿意が引っ込んでしまう。そうなるとなぜか余計に周りが気になりだして、隣のオッサンが便器からちょっと離れて小便していたり、出し切った後に豪快にチンコを振り回していると、こっちに跳ね返ってきたりはしないかとか、変なことに意識がいくようになってドツボにはまってしまう。周囲を気にしても仕方がないと分かってはいるから、何とか深呼吸してリラックスしてみたり、下腹部に力を入れて無理やり出してみようともするのだけど、一度こうなってしまうともう無理である。
小便が出ないまま立ち去ると、なぜか自分が不能者みたいに思われるような気がして(誰もそんなことを気にしない)、出し切った感を演出するためにわざとらしくチンコをトントン振って、フゥ~っと一息ついてからズボンを上げてトイレを出る。それでも小便をしないと気分が悪いから、また大便用が空いたタイミングを見計らってトイレに行ったりしている。こんなことをしていると非常に情けなくなってくる。
やっぱり今でも、立ちションは苦手だ。

小田原城を攻めていた秀吉が、配下になったばかりの伊達政宗に自分の刀を持たせ、小田原城を見下ろす丘の上から余裕綽々と立ち小便をした―という逸話がある。立ち小便というのは、男のシンボルをさらけ出して豪快に放尿するという、とても男性的な行為なのだ。
私はそれが苦手である。
とても男らしい性格と言えないのは分かっている。ただ、もっと何も気にせず思いのままに放尿できたらなと思ったりもする。
立ちションひとつとってもみても、子供のころから感じている世の中での生きづらさみたいなのを生理現象が体現して証明してくれているようで、苦悩とか悲嘆とかいうよりはむしろ感慨のようなものを覚えてしまう。

そんなことを考えながら会社のトイレから出ると、手を洗っていた同僚から
「お前のウンコ臭いね」
などと言われた。

ふざけるな、それは前の人のウンコの臭いだ。なぜなら私は大便用に入ってはいたが小便しかしていないのだから・・・。
そんな言葉が出かかったが、それを押し止めると、「そう?ごめんね」と軽く流してトイレを出た。

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